保守のうさぎ随筆

時事問題、近代史、ひとりごとなど脱線多発。動画も紹介しています。

カテゴリー: 思い出

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人類の敵 アブ

2010-03-03
思い出
アブですよ、人類の敵、アブ。

私は自分が刺されるまでアブの名前しか知りませんでした。

いつだったか白馬が定宿になる前、東北へ行きました。
秋保温泉だったかな、寄り道で温泉だけ入りにいきました。

かなり大きな宿で温泉も設備もかなり良かったです。

体を洗い、チビ二人を連れて露天風呂へ行きました。
とても広くて新しく、温泉の滝などもあってチビたちはずーっと修行をしてました。

一つ不審に思ったのは、四角いポリのゴミ箱にハエたたきがたくさん
入ってるんですよ、これが。
そして「アブたたき」と書いてある。

????と思っただけで、気にせず温泉につかり、ウオーとうなった途端に激痛が。
なんじゃー?!と思った途端にまた激痛が右の二の腕に。

ふと見ると虫がたかっている。
ギャアと追っ払ったけど、血でてるし痛い。
痛みの度合いは、そうだなー、献血の針が5ミリくらい刺さった感じ。

これがアブか、それにしちゃ多すぎねェかい?
だからアブたたきだろうけど、あんなんじゃ阿修羅じゃない限り追っ払いきれんぞ。
何せ温泉につかること一分の出来事。

幸いにも滝行に励んでいたチビたちは無事のよう。
修行が足りないと文句を言う、毛の生えたチビ坊主たちを連れて逃走しました。

露天風呂の入り口で、さあこれから!という奥様軍団と遭遇。
アブが多いようですから気をつけたほうがいいですよ、と声をかけたところ
ハッとしたような顔で私の腕をみるんですよね。

そこからはまだ、血がたらたらと二箇所から流れていたのでした。
恐れおののいた奥様退却、露天風呂が無人わけはアブだったのでした。

刺されたあと、これがかゆくてしつこい。ホントにしつこい。

ブヨも酷いけど強力ステロイドで一週間我慢すれば何とかなる。
アブは何ヶ月も続いてしこりになって後が残るですよ。

一回刺されると、ザクッと来たときにアブだ!ってわかるんですよね。

デズニーランドに行ったとき、トゥーンタウンで後ろ首をアブに刺されましたよ。
首にタオル巻いてたのに。

なんでこんな所でアブが!温泉はどこにあるんじゃー!と頭に来ましたが
同行者に出来るだけ絞りだしてもらい、水でよく洗っときました。

ランドにはミ○キーもプ○さんもドナル○もいるけどアブもいますよーー!!
全然かわいくないよー!

ここばかりは気をつけようもないんですけどね。

楽しいはずの、苦い思い出でした。
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在日、中国、台湾、韓国人との思い出

2010-02-17
思い出
この次の記事は「従軍慰安婦」について書いてみようと思う。

「従軍慰安婦」は私が一番最初に知った「大嘘」で、特に
日教組教育を受けたわけではなかったのに、大変なショックだった。

それまでの自分の生活には特に影響もなく、普段は考える事すら
稀だったのに、どうしてそれほどショックだったんだろ。

ただ、単純に、マスコミが、新聞が、テレビが堂々と、どうしてそんな
大嘘をついてきたのか、そしてそれを鵜呑みに
していた自分、日本人にただ愕然としたのかもしれない。

「従軍慰安婦」を調べるまえに、もう思い出になってしまうが
数少ない自分と在日、韓国、シナ、台湾人との交流を書いてみようと思う。

① 日本でであった在日(女)
    通っていた学校のすぐ側に、朝鮮人学校があった(日本で言えば高校)
    朝鮮学校生の鬼畜加減は噂に聞いていたので、その学校の横を通れば
    近道なのに、わざと遠回りをしたもんだ。
    
    制服は黒のチマチョゴリ、男子は憶えていない。

    そのころ私もある学校に通っていたが、クラスに一人在日がいた。
    通名も使わず、まず先生から名前の読み方を聞かれていたっけ。

    とにかく彼女は変わっていたのは憶えている。
    
    かたくなで融通が利かない。
 
    グループで何時間も話し合って、やっと決まった事にほじくり返す
    ような意見で、爆竹を投げこむような真似をする。

    自分の意見を必ず通そうとし、通らなければいつまでも不快感を
    あらわす態度をとる。
  
    自分は同じグループではなかったが、彼女所属のグループはそれで
    かなりもめた。
    私も時々話しはしたが、あまりに会話がかみ合わないので近寄らない
    事にし、クラスも口にこそ出さないが、距離をおいていた。

② 海外逃亡先でであった在日(女)
    彼女もクラスメイトだった。
    日本語が堪能なのに、名前が欧米とも大陸とも取れるような名前で
    不思議に思ったけど、在日だった。
    
    日本では通名を使っているが、ここは日本じゃないから
    自分の本当の名前を名乗るのだ、とのこと。

    彼女はとても明るくかわいらしい人で、世話好き。
    もちろん、ただのクラスメイトとして、表面上の
    付き合いしかなかったから、深くはわからない。

    でも彼女からは良くはしてもらっても、嫌な思いは
    一度もしたことは無かったし、楽しかった。

③ やはり逃亡先でであったシナ人(女)
    彼女もクラスメイト。
    冗談が大好きで、いつも笑って喋っていた。
    なんというか「こまけぇことはいいんだよ!」みたいな
    人で広く浅く付き合う人だった。
    この人からも嫌な思いをしたことはなかった。

④ やはり逃亡先でであった韓国人(男)
    やたらとモテていた(しかも日本人だけに)
    背は低いし、当時でさえ化石のような存在だった
    チェッカーズのフミヤ崩れなコーデネート。

    私は全く話をした事がなかったけど、当時、私と
    一番仲の良かった友人が言い出した。
    
    「気になる人がいるんだよね…」

    もうそのころには勘で何と無くその韓国人がどんな
    感じか分かっていたのでティキーン!ときて
    
    「あの子でしょ」っつたら「うん」だと。
    アンタもかよ~日本女子はどうなってんだよう。

    んで何故かその韓国人(Cとしよう)と友人と私の三人で
    飲みにいくことになった。

    みんなウワバミの如く飲めるヤツばっかで、話も弾んだ。
    しかし現地の夜は早い。11時ころに飲み屋はみんな
    店じまいをしてしまう。
    でもまだ話足りない。
    もう少し開いてる店っつったらストリップバーくらい。

    んで、みんなアホだからそこへ移動。
    アジア人は若く見えるから、なんか女子供が来たーと
    思われたのは間違いない。

    またまたビールを空けつつ話こんだ。
    そのうちに、ふと、Cがいった。
    
    「なあ、秘密まもれるか?」

    こんな時、女はうん!もちろん!と即答する。
    Cは話だした。

    「おれさ、自分でもわかんなくてさー、こっち来てから変でさ」

    うん、うん。

    「こっち来てから3ヶ月、たった3ヶ月だよ。でも7人の子と××した」
    「しかも全員、日本人でさ」

    後ろでは、挑発的なポーズでストリッパーがバーにつかまり
    くるくると回っていた。大音量の音楽。

    間髪を入れず
    「おめーはなんて悪いヤツなんだぁ~~!!」
    「全てはおめーが悪い!!」
    「そいつら7人もどうするつもりなんだ!!」
    「この極悪人!女の気持ちも考えろ!」
    「女なら誰でも何人でもいいのかぁ~~!!」

    罵声をとばしたのは主に私。
    しかし彼は本当に困惑しているようだった。

    しかも次には同棲中の彼女自慢(これも日本人)

    「彼女は最高!パーフェクトだね。和洋中、料理も上手い!」
    「彼女みたいなコはなかなかいないよ」
   
    だってさ。
    だったら7人××(ペケペケ)は何なんだよ。
    考えてもわかんね。

    そのうち店のおっちゃんに
    「ほらー、もうお家に帰るじかんだよー」と閉店を言われた。

    その後は顔を合わせれば挨拶する程度。
    明日、帰国するんだ、ありがとね、元気でねと
    いったら、ノート貸してと言う。

    Cはさらさらと、自国の住所を書いた。
    
    「わかってるけどね、君がここに手紙なんか絶対くれないことは。
       でも一応、書いとくよ、頑張ってね」
    と私たちはさよならした。

    韓国人ってパワフルだな、同棲中の彼女がいながら
    7股をかけるなんて、なんて凄いんだ、でもアホだな
    というのが当時の感想。
    個人的な付き合いはご免だけど、一緒に飲むにはサカナに
    なって面白かった。

⑤ やはり逃亡先でであった台湾人(男)
    彼はとても気持ちの良い人だった。
    絵がものすごく上手で、いつもニコニコしている。
    のん兵衛だけど、誰からも好かれるタイプ。

    言葉は違うけど、空気の読み方やフォローの仕方が
    日本人とよく似ていたように思う。

    そしてチャイニーズ?と言われる度に彼はかならずこう答えていた。
    
    「違う、自分はチャイニーズじゃない。タイワニーズだ」

    いつものにこやかな顔で答えるが、その声には誇りをもった
    真剣さがこもっていて、彼と接して以降、チャイニーズ
    タイワニーズ、ホンコニーズの言葉には気をつけるようにした。


以上がざっと思いついた、彼、彼女たちとの記憶。

当時チャイニーズ系の友達もいて、チャイナタウンに行っても嫌な思いを
する事はなかった。

これはたぶん、通訳がいたし、チャイニーズには日本人とチャイニーズの
区別が付かなかったからかもしれない。

(日本人は、服装と雰囲気から「この人はジャパニーズではない」とほぼ判別がつく)

私にとって、彼らは遠い記憶のなかの一コマで、通り過ぎていった人々だった。

しかし、今、こうして特亜のことや日本のことを考えていると、ふと思いだす時がある。

当時、彼らとは戦争、併合、賠償、その手の話は一切なかった。

本当は、何かしら思う所があったのかなとか考える時もある。    

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