保守のうさぎ随筆

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年表で追う「従軍慰安婦捏造史」6-6

2010-02-18
年表で追う「従軍慰安婦捏造史」1-6
これで最後になります。
簡単な抜粋年表と解説でしたが、だいたい流れがわかったかな。
まとめてみて、知らなかった事ばかりで、なるほどと納得できた
部分もありました。

吉田清治の影では人権屋なるものが暗躍していたようですが
それだけで40年もこんな目に会うもんでしょうか。

歴代首相や大臣があやまり続ける事20年近く、賠償金など
裏も含め一体どれほど払ったのか。
何を条件、対価としてそれをし続けたんだろう。
私はアホだけど、ただの事なかれ外交じゃないのはわかる。

不審なプロテスタントや、出自のわからない人物も
利権で相当からんでいたみたいだし。

でも、だからと言って、国のトップが謝っちゃダメだろう!
外国にまでそこをつつき回されてるのに。

しかもこっちから朝鮮人に。嘘かホントかもわからないのに。
「加藤談話」に始まり、嘘八百に何度金を出して謝ればいいんだ。

アメリカ初め世界何カ国からも非難あびて、シーシェパードからは
硫酸なげられて。

全部繋がっているような気がする。

どうして何時も何時も、日本ばっかり狙うんだ。
もうあんたらにやるゼニは一銭だってない。

この腹の底から、シチューのあぶくのようにふつふつと湧いて
くる気持ちは何なんだろう。
腹の虫がおさまらん。

シーシェパードもな、よそんちの船を襲撃するヒマがあるなら
仕事をせんか、このごくつぶしが。
んで全額、クジラ繁殖のために寄付しろばかすけ。

仕事も嫌なら糸もってこい糸。んでそこらで棒切れさがしてこい。
そしたらスルメやるから、一日中ザリガニでも釣ってろ。

少なくとも他人に迷惑はかかるまい。
もちろんザリガニは知的で偉大なる生物だから、キャッチ&リリースだぞ。
食うなよ。

ちょっと横道に入りすぎたけど、話をもとに戻すね。

ここでひとつ、書かなければいけない事件があります。

<白馬事件>しろうま事件 別名スマラン事件
 
 1944年(昭和19年2月)インドネシアのスマラン島で南方軍管轄の
 第16軍幹部候補生がハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダシガン抑留所から
 オランダ人女性35人を将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘の
 4箇所の慰安所へ強制連行し、監禁、強姦をした。

 1944年4月 陸軍省から捕虜調査に来た、」小田島○太大佐の(○が読めなかった)
           勧告により、軍司令部が4箇所の慰安所を閉鎖させた。

 1948年   オランダのベタヴィア臨時軍法会議にかけられた12名のうち
          11名が有罪、うち1名が死刑。

 1990年   対旧道義的債務基金(JES)が設立され、これにより
          総額2億5千5百万円をオランダ女性へ支払い始めた。

 2001年   総額2億5千5百万円を支払い終える。

強制連行された女性には慰めの言葉を書く事も出来ません。
ただ、日本人としてお詫びするのみです。
この事件があったのも事実だし擁護はできない。

この規模で軍法会議により一人は死刑。他ほぼ有罪、多額の賠償金。

朝鮮半島で朝鮮人女性を5~7万人も強制連行、強姦が事実なら
日本軍は全員死刑、経済破綻でも不思議ではないとは思うが。

ヤローばっかり、しかも戦争という緊急事態で気持ちは高ぶるでしょうし
男性ホルモンも今の若い男性よりも断然、多かったでしょう。

当然、日本軍だけが慰安所に通っていたわけではない。
それこそ戦争のある場所に売春宿があるわけで。

かのチンギス・ハーンの時代には苦肉の策として羊を連れていったらしい。
その手の役にもたつし、必要とあれば食べられる。(なんかすごいがね)
そのくらい、当時の男性にとって戦場での規律を守り、モチベーションを
高めるには必要だったんだろうな。

慰安婦はいたが、昔も今も従軍慰安婦はいない。
お互い利害の一致した、一方は売春婦、一方はお客でしかない。

ただそれだけの話が何故ここまで、日本ではこじれるのか。
何が理由かわからないけど、お互いに嘘をつき続けたからでしょ。

捏造、でっち上げ、言いがかりの嘘と、嘘の謝罪と嘘まみれの賠償金。

いい加減、間違っていることには大声で否定をしないと
ますます妙な団体、国にからまれるぞ。

民主党ははじめから
「あ、従軍慰安婦さんですか、本当にもうしわけありません。植民地も
  すみません。すぐにお金を用意しますね。そのうち日本国の天皇も
  謝罪されると約束します」
のスタンスなので、もう心底、解散総選挙になって欲しい。

日本の御皇室をどのような存在ととらえているんだ。
日本人じゃないとしか思えない(イヤミね、ホントだから)

ベトナム戦争時、韓国人はベトナム女性をレイプしまくったよな。
何でそんなにヤル気満々で虐待好きなんだ。もーキムチ食うな。

結果、2万人にも及ぶ混血児が存在しているの知ってる?韓国人よ。

得意の賠償しろ、謝罪しろ!はどうしたのさ。
言うのは得意だけど、賠償する、謝罪する、責任を取るなんてこと
これまで一度でもした事があるんかい?おしえてくれ。

日本軍が女性と見れば片っ端から5~7万人も強制連行、レイプしたなら
相当な数の混血児がいるはずだけど、そこにはさわんねーのかい。

時系列に追っていったらだんだん頭にきて、最後はまとまりなくて
すみませんです。

最後まで読んでいただいたかた、本当にありがとう。
歴史捏造を知る一助となれば幸いです。


<以下、参考、引用リンク(敬称略)>

ウィキペディア 植村隆

ウィキペディア 女子挺身隊

日韓基本条約(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)

ROPPNGI 靖国問題、南京大虐殺、従軍慰安婦、教科書問題 実は朝日新聞記者の捏造が発端

国民が知らない反日の実態

「従軍慰安婦の真実」画像

従軍慰安婦給料についての疑問 yahoo知恵袋

知らされなかった日本 河野談話分析(3)  植村記者らのこと


<以下、参考(敬称略)>

いい加減にしろ韓国vol.4【従軍慰安婦の真実】

コトバンク アジア女性基金

庶民の群れ 「アジア女性基金解散へ!」


その他、記事中のリンクもよろしければどうぞ。
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年表で追う「従軍慰安婦捏造史」5-6

2010-02-18
年表で追う「従軍慰安婦捏造史」1-6
すぐきー


1996年(平成8年6月)
  自民党の奥野誠亮法務大臣が「従軍記者や従軍看護婦はいたが《従軍慰安婦》は
  いない。強制連行は無かった」と発言。

  
  韓国人元慰安婦が自民党の板垣正議員と面会。
  「一部の日本人が強制は無かったと妄言を吐く」と訴える。
  (慰安の)対価としてお金をもらっていないとの元慰安婦の話に
  「そういう例があったとは全く信じられない」と疑問を呈した。

1996年(平成8年6月末)
  故橋元龍太郎首相が韓国の金泳三大統領との会談後
  慰安婦問題を謝罪した。
  ←樹海もの

1996年(平成8年6月27日)
  教科書を発行する7社が「強制連行」の一環として、「慰安婦」の
  問題を掲載したと判明する。

1996年(平成8年12月2日)
  藤岡信勝、西尾幹二、小林よしのり、坂本多加雄、高橋史郎らを含む
  9名の呼びかけで「新しい教科書をつくる会」が結成される。

1998年(平成9年1月31日)
  「朝まで生テレビ」で吉見義明教授が「植民地での奴隷狩り的強制連行と
   挺身隊が慰安婦にさせられた例は確認されていない」ことを認める。


1998年(平成9年3月31日)
  朝日新聞が、吉田清治の証言に関して「真偽は確認できない」と掲載。
  元官房長官の河野洋平のインタビューも掲載。 ←バーロー!

1998年(平成10年8月4日)
  読売新聞が「国連の権威を損なう《慰安婦》報告」と題し、慰安婦強制連行説を
  捏造したものと、それを追認した「河野談話」を厳しく批判。←今さら書くな。

1998年(平成10年9月2日)
  秦郁彦教授が吉田清治に電話をする。
  「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたところ
  「人権屋に利用された私が悪かった」と述べたが「私にもプライドがある。
   85歳になって今さら…このままにしておきましょう」
   との返事。
 ←何がプライドか。日本のプライドどうしてくれるんだ。

  人権屋Wiki リンク→ 人権屋

1998年(平成10年10月)
  「諸君!」11月号において秦郁彦教授が吉田清治本人が
   自書をフィクションである事を認めたと述べる。


2000年(平成12年3月1日)
  読売新聞は社説で慰安婦問題は捏造であると報道した。

2002年(平成14年3月)
  1993年、在日韓国人で唯一、元慰安婦であると名乗り出た
  宋神道(同時に訴えたフィリピン人19人もか?)日本政府に
  謝罪と賠償を求めていた訴訟で敗訴が確定する。

2003年(平成15年3月24日)
  1998年4月27日、元慰安婦3人と元挺身隊7人の計10人が
  日本政府に総額5億6千4百万円の損害賠償と公式謝罪を求めた
  通称「関釜裁判」
の上告が棄却され、慰安婦側の敗訴が確定。

2005年(平成17年8月10日)
  第二次世界大戦終結60周年、世界60都市で同時集会デモが、東京
  ソウル、マニラ、サンフランシスコ、などで開かれ、日本政府に対し
  国連勧告に従い「元慰安婦」への賠償を訴える「アムネスティ=インターナショナル」
  「水曜デモ」を機に慰安婦とその支援者たちに賛同する事を発表する。

   怪しい人権団体 リンク→ 「アムネスティ=インターナショナル」

2007年(平成19年1月31日)
  アメリカにて民主党のマイク=ホンダ議員ら6人の民主党の下院銀が
  共同署名で慰安婦問題に関わる対日非難決議案を提出する。
   ←断固たる態度を取らないからヘンなのが次々わいてくるんだよ。

2007年(平成19年2月25日)
  「報道2001」でマイク=ホンダ議員は強制連行の根拠を
   被害者の証言、アジア女性基金による支援、河野談話、総理の謝罪
   と主張した。 ←ほらツッコミはいったじゃないか。

2007年(平成19年3月31日)
  12年間、償い事業を行ってきた「アジア女性基金」が解散。
    ←お金なくなっちゃって…

2007年(平成19年4月27日)
  アメリカよりの非難が続く中、訪米した安部晋三首相は幹部との会談では自ら
  「せっかくの機会なので一言、念のために申し上げたい。私の意見が正しく
   伝わっていない」と発言。

  これを受けて日系のダニエル=イノウエ上院議員は「残念なのは、慰安婦を
  めぐる米国内の動きだ。7人の首相が謝罪しているにも関わらず、今後も
  続くかと思うと疑問を感じる」と述べた。


年表おわりですー。
あとは補足とリンクです(たぶん)

年表で追う「従軍慰安婦捏造史」4-6

2010-02-18
年表で追う「従軍慰安婦捏造史」1-6
いのきー


1992年(平成4年5月25日)
  朝日新聞が吉田清治が韓国へ「謝罪の旅」に出る予定と紹介する。

1992年(平成4年5月?日)
  「正論」6月号で秦郁彦教授が済州島での実地調査を発表。
  これにより、吉田清治の嘘が暴かれる。

1992年(平成4年8月12日)
  吉田清治が訪韓。金学順に頭を下げ、謝罪する。

1992年(平成4年12月)
  「週刊新潮」吉田清治のコメントが載る。
  「私の書いたことは全部事実」

1993年(平成5年2月)
  「現代コリア」2、3月号で現代史研究家の加藤雅夫氏
  千田夏光「従軍慰安婦」の中の嘘を暴露する。

  「従軍慰安婦」は千田が勝手につくったものであり、内容も
  島田俊彦「関東軍 在満陸軍の独走」を参考にしたもので
  取材すらしていないと判明。本人もこれを認めた。


1993年(平成5年6月)
  高校日本史の検定済み教科書、7社9種類の全てに
  従軍慰安婦が掲載されていることが判明。

1993年(平成5年8月4日)
  日本政府は「慰安婦問題に関する第二次調査報告結果」を公表した。
  それに関し、当時の河野洋平官房長官が日本軍の強制連行を認める
  「河野談話」を発表する。
 ←やっちまったな
   
   「河野談話」全文 リンク→ 河野談話

1994年(平成6年8月31日)
  日本社会党の村山富一首相が「平和友好交流計画」に関する談話のなかで
  従軍慰安婦について謝罪した。

1995年(平成7年1月)
  「週刊新潮」が吉田清治の証言は事実無根であることが
   判明したとの記事を掲載する。

1995年(平成7年7月)
  村山政権下の日本政府の主導で
  「財団法人 女性のためのアジア平和国民基金」が発足する。

  アジア女性基金(正式名称の略)
   
   河野談話をきっかけに、従軍慰安婦問題解決のため、当時の村山内閣
   が設立。国民から広く募り、約10億円以上が募金された。
   さらに税金を50億円以上投入。
   
   韓国、フィリピン、台湾などの女性が元慰安婦です、と申し出るだけで一人200万と
   首相からの「お詫びの手紙」が送られ、計285人、5億8千4百万円が支出された。


   60~70億とも言われたアジア女性基金であるが、上記の金額以外は
   シンポジウムの開催や、もろもろの会議のお膳立てなどなどの細かいことに
   全て支出したそうです。
村山内閣が解散したため、会計報告等は不明。
   消えたナゾのン十億円はどこへ~

1995年(平成7年8月15日)
  日本社会党の村山富一首相が、いわゆる「村山談話」を発表する。
    ←\(^o^)/

   「村山談話」全文 リンク→ 東洋思想の資料室

1996年(平成7年5月29日)
  「週刊新潮」でのインタビューで吉田清治は著書の記述に
  一部創作があったと認めた。

  
  「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し、自分の主張を
    混ぜて書くなんていうのは新聞だってやるじゃないか」


   つづくー

年表で追う「従軍慰安婦捏造史」3-6

2010-02-18
年表で追う「従軍慰安婦捏造史」1-6
づつきいきますー。


1990年(平成2年10月17日)
   韓国の37の女性団体が、当時の海部俊樹首相に公開書簡を送付。

1990(平成2年11月16日)
   韓国において、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が発足。
   この時から毎週水曜日にデモを行うようになった。
   通称「水曜デモ」

   ※現在、大阪を中心に市民団体が粉骨砕身中。
   
  ー女子挺身団ー

   1943年に日本で創設された14~25歳以下の女性が市長村長、婦人団体等の
   協力によって構成されていた勤労奉仕団体のこと。
   1945年3月に国民勤労令によって、国民義勇軍へと吸収、再編成された。
   
   朝鮮人が(当時は併合により日本人だか)そもそも「慰安婦」と「挺身隊」を混同
   したことが誤解の原因となっている。
   
   この場合の挺身隊とは「女学生」を指す。
   慰安婦とは全く違う意味であるが、朝鮮内ではこれを混同し、「挺身隊の徴用」を
   「慰安婦の強制連行」として、誤解あるいは故意に事実を捻じ曲げた。

   
   昭和19年「勅令第579号」が出されたが、朝鮮人はこれを
   「強制連行勅令」とでも思ったかの如くまいど持ち出すが、事実は全く違う。
    
   彼女たちは軍需工場などでの労働として徴用されたのである。
   当時は併合により日本人であったため、徴用は当然かつあり得るべき
   ものであろう。
   しかし、徴用時期など日本人よりもかなり優遇されていた。

   事実、朝鮮では慰安婦と挺身隊を同義語として使用していた時期もある。

   女子挺身隊 リンク→ nakano bunnko 
                 女子挺身隊(昭和19年勅令第519号)原文


1991年(平成3年5月22日)
   朝日新聞、大阪版で「木剣をふるい無理やり動員」という見出しで記事が掲載される。
   吉田清治の慰安婦狩りの証言と、それに関する写真を載せた。

1991年(平成3年8月11日)
   朝日新聞、ソウル支局の植村隆記者が「元従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」
   との見出しで記事を掲載する。

 ※植村隆 学生時代から韓国へ興味を持ち、朝日新聞入社後、延世大学(韓国)語学堂に留学。
        妻は、日本政府に対してアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件を起こした
        韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会の常任理事、粱順任の娘。
       
        訴訟原告代理人は高木健一(弁護士)
          林和男(弁護士)、福島瑞穂(弁護士)ら11人。

         (下記の1991年12月6日を参照)   
     

1991年(平成3年8月14日)
   元慰安婦とされる金学順が記者会見を開く。

1991年(平成3年8月15日)
   「ハンギョレ新聞」の報道により金学順が「親に売り飛ばされた」
   証言していた事が発覚する。

1991年(平成10月10日)
   朝日新聞、大阪版が、井上祐雅編集委員による吉田清治のインタビューを掲載。
 
1991年(平成3年12月6日)
   金学順ら3名の元慰安婦を含む32人の原告が、日本政府を相手取り
   東京地裁へ提訴。主任弁護士は高木健一弁護士。

   アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件   
   上記1991年8月11日 植村隆を参照ください。

1992年(平成4年1月12日)
   朝日新聞が「歴史から目をそむけまい」と題した社説を発表。
   「16日からの宮沢首相の訪韓では~前向きの姿勢を望みたい」

1992年(平成4年1月13日)
   当時の加藤鉱一官房長官が談話を発表。
   通称「加藤談話」
   事実調査もせぬままに「お詫びと反省」という内容を
   盛り込んでしまった談話。
 ←この時点で負け

1992年(平成4年1月13日)
   Japan timesが当時の外務省、渡辺美智雄大臣の発言を誇張させ報道した。
   
   「この発言は政治家が《日本軍がWWⅡ中に何十万人ものアジア人に対する
   強制売春に加担した》と初めて認めた」と朝日ですら書かないような
   ことを付け加えた。

1992年(平成4年1月16日)
   故宮澤喜一首相が訪韓、反日デモでお出迎えをされる。
   
   首脳会談では8回謝罪し、「真相の究明」約束した。

   真相究明前に、有罪か無罪か分からぬままに、謝罪という
   蛮行を行ったのが故宮澤喜一。
 ←加藤談話を撤回せずまた謝罪。なぜ?

1992年(平成4年1月23日)
   朝日新聞のインタビューにて吉田清治が
   「強制連行された女性は少なくみても950人」と発言。


   ~つづく

年表で追う「従軍慰安婦捏造史」2-6

2010-02-18
年表で追う「従軍慰安婦捏造史」1-6
前回は前フリで終わりましたが、ここから年表いきますー。
ぜひ、前フリを思い出しながら、読んでいただければ分かりやすいと思います。

モニターに向かって、全力でツッコミ、罵声をほどこして下さい。


1973年(昭和48年)
  千田夏光「従軍慰安婦《声なき女》八万人の告発」(双葉社刊)
  慰安婦という言葉に勝手に「従軍」という接頭語をつけたのは
  この書籍が始めてであり、この造語の作者が著者、千田夏光である。

 

1977年(昭和52年3月)
  吉田清治「朝鮮人慰安婦と日本人ー元下関労働動員部長の手記」
  (新人物往来者刊)
   労働に入るまでの苦労話と下関朝鮮人慰安婦に関わる体験談と
   いう内容。


1982年(昭和57年6月26日)
   朝日新聞が「日本の教科書が《華北への侵略》を《進出》に
   書き換えさせられたと報道。
   この記事を韓国の新聞が引用したときき「中国、韓国への侵略」
   と勝手に韓国を追加した。

1982年(9月11日)
   第一サハリン裁判にて吉田清治が済州島における朝鮮人の
   「奴隷狩り」の原告側の証人として証言した。

1983年(昭和58年7月)
   吉田清治「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」(三一書房刊)
   現在この書籍は日本中さがしても一冊もないとのこと。

1983(昭和58年12月)
   吉田清治が韓国に謝罪碑を建てるために訪韓。
   天安氏の国立墓地に「元労働党徴用隊長」の名義で建てる。

1985年((昭和60年8月15日
   「かにた婦人の村」館山へ城田すず子の発意で慰安婦の碑を建てた。

 ※ 社会福祉法人「かにた婦人の村」
   
    創始者は故深津文雄(ぶんゆう)=牧師。
       元売春婦、精神遅滞、肉体的な障害、梅毒などの理由で社会生活が
       困難な女性を保護する目的で昭和40年、その当時で国から1億円の
       補助を受け、設立された。
    
       1985年「元従軍慰安婦」の入所者の願いをきっかけに、施設内へ
       慰安婦鎮魂碑がたてられた。

    <創始者 深津文雄自著よりプロフィール>
       1935 茂呂塾創立
       1937 上富坂教会再興
       1954 社会福祉法人 ベデスダ奉仕女母の家創立
       1954 いずみ寮創立
       1965 かにたの婦人の家 創立

     日本基督教団に加盟し、以下は他加盟団体の一部。
     
      ・日本組合基督教会
        日韓併合時、朝鮮総督府から巨額の援助を受け現地で伝道。
      
      ・全国連会長老会
        大韓イエス教長老会 大韓民国の長老派支部をもつ。

      ・日本基督教団京都地区部落解放センター
      
      ・日本基督教団体部落青年ゼミナール

      ・日本基督教団部落解放センター

      ・日本基督教団労働組合

  社会福祉法人 かにた婦人の村 現理事長 天羽道子シスター
     
      リンク→ 戦争がもたらした悲劇は繰り返されてはならない

  故城田すず子 元日本人「従軍慰安婦」であり「オンナには地獄だった」他著書あり

      リンク→ 元日本人慰安婦の回顧録:「オンナには地獄だった」-城田すず子さんのこと

   参考リンク→ 死ぬ死ぬ詐欺:反日キリスト教系キムチカルトとは
   
 
1989年(平成元年5月)
   朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を、百人委員会事務局の青柳敦子局員が
   「朝日ジャーナル」(朝日新聞社刊)へ隔週で15回に渡り
   意見広告を掲載。

   青柳敦子は大分県在住で勤務医を夫にもつ40歳の3児の母親。
   そして朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を要求。百人委員会の宗斗会代表は
   在日朝鮮人
である。
   ようするに、朝鮮人が自ら「私たちに謝れ!」と青柳局員を通じ
   15回に渡り請求。

1989年(平成元年8月)
   吉田清治著「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」がハングルに訳され出版。

1989年(平成元年8月14日)
   「済州新聞」許栄善記者が吉田清治著書に関する現地調査をした。
   さらに郷土史家の金奉王氏が追跡調査。

   これにより吉田清治の著作がでたらめであると判明
   憤慨した金奉王は「この本は日本人の悪徳振りを示す
   軽薄な商魂の産物であると思われる」と述べた。

1989年(平成元年11月9日)
   青柳敦子、宗斗会の両氏が韓国において「慰安婦裁判の
   原告募集」のビラをまく。

   このビラには「訴訟費用を負担する」とあり、「勝訴すれば
   賠償金を貰え、敗訴してもリスクはない」とする
   ノーリスクハイリターンの手法をとった。

   つづく~

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