保守のうさぎ随筆

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カテゴリー: 後継者、金正日1-4

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後継者、金正日4-4

2010-03-25
後継者、金正日1-4
<超能力>
超能力を有しており、地震を起こしたり、日本地図を塗り潰して日本に大型台風を
発生させる事ができるとされている。
また、父からの遺伝か秘伝か「縮地法」で瞬間移動が出来るとされています。
縮地法は替え玉「金日成の矛盾」を解消するために考案された、苦肉の策である
ということは北朝鮮では内緒であると思われます。

金日成のヘンなウィキの脚注を見ましたら、和田春樹著よりの引用、参考が
非常に多いです。で、検索したら売国学者のトップにその名がありました。

また、アメリカでは2009年に金日成の別人説を裏付ける文書が見つかり、
1948年にはすでにレポートされていたようです。(本物は叔父説もここから)

国立公文書記録管理院(NARA)で発見された文書
金日成替え玉レポート

この親子を簡単に並べてみましたが、とにかくヒエラルキーの天辺、独裁への
執着を強く感じます。

これは自分がトップになることで事大主義への反動にも見えるし、しかし最初は
ソ連のヒモ、今はシナ共産党のヒモつき、染み付いた事大主義への依存にも
見えます。

金正日が後継者をになるにあたっては、それほど複雑な工作をしなくても
済んだでしょう。何しろオヤジ様が粛清に次ぐ粛清を重ね、邪魔者は綺麗
サッパリといなくなり、かしづく者だけが残ったようですし。

あれほどの冷戦を経たUSSRだって崩壊、フタ開けてみたらボロボロの底抜け
でした。いまだにロシアの国民にはいろいろな物が不足しています。
今はシナ共産党がなければ国が立ち行かなくなっている現実、健康状態に
金正日は毎日、火病発作を起こすそうです。
ロシアですらアレですから、北朝鮮が崩壊したときにはどうなるのでしょうか。
そして日本は?

金日成は分かっているだけで11人の子供、現在の金正日夫人は5人目です。
金正日は不出来な自分の息子を処刑にもしたそうです。
ニンニクのせいかは分かりませんが、そちらの元気はありそうなので、いわゆる
婚外子もそれなりにいたのではないかとも考えました。その子らがどうなったのかも
気になりますが、さすがにそこまでは分かりませんでした。

しかし、金正日の糖尿病は重いようですし、人工透析も受けているとなると
かなりの飲食制限がありのハイリスク、脳出血の既往もあるようなので、健康
状態はかなり悪いのではないかと思います。
火病のオヤジをなだめ、後継者となるため、現在は三男が奔走中。
余り火病ると本当にプッツンしてしまいますよ。

アメリカのどこかの機関では「余命一年」と推測されたとか。

北の親子シリーズ終わります。
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後継者、金正日3-4

2010-03-24
後継者、金正日1-4
<国家元首として>
(6) 2002年9月17日、小泉純一郎首相との日朝首脳会談の席で、金正日は日本人
    13人を拉致したことを認め、口頭で謝罪した
。犯人についての関係者は全て
    処刑したと述べた。国交正常化へ努力することを記した「日朝平壌宣言」を発表。
    ※拉致問題を認め謝罪した見返りは100億ドルもの金額がきたちょry
(7) 2006年7月16日、北朝鮮のミサイル発射をきっかけに、国連、安保理の全会一致
    で非難決議がなされた。また7月26日には女性秘書の金玉を事実上の夫人とし
    同居していることが報じられた。
(8) 2009年4月9日、最高人民会議で国防委員長に再任され、政権は3期目
    突入した。同月の憲法改正により、国防委員長は最高指導者として位置づけry
    (またかい)
(9) 2010年「私は人民が未だトウモロコシの飯を食べている事に最も胸が痛む。
    この世で一番立派なわが人民に白米を食べさせ、パンやめん類を十分に
    食べさせること。」
との談話が労働新聞に掲載された。
    2009年のデノミ失敗、餓死や治安の悪化、金正日自身の健康問題も絡み、
    まさに「崖っぷち」の状態であると分析するメディアもある。
    (談話についてはツッコミ所満載なのでスルーします。)

<健康問題と後継問題>
心臓病、糖尿病、肝臓病(成人病の権化です)、糖尿病合併症である慢性腎不全により
人工透析、すい臓がん、脳出血にて手術などの健康状態が挙げられ(すい臓がんは
ガセとの報もあり)後継者は三男の金正雲とされています。

<人物像>
国営の朝鮮中央放送で使われる金正日の呼び名は100以上あると言われ、国内メディア
では「百戦百勝の鋼鉄の霊将」などと賛美されるが、実際には実践で指揮を執った経験
はありません

父がスーツ派に対し、金日成はスラックスとジャンパーを愛用、シークレットブーツを履くと
いう説もあります。(そういえば左翼もいつもスラックスとジャンパーだな。アカの規則か。)
テロを恐れているためか、父同様、飛行機嫌いであり(大韓航空機爆破したもんね)
鉄道での移動には専用の装甲車両を使う。しかしこの装甲も床に鉄板を補強しただけとの
説もあり。
統一教会の文鮮明とは1992年の資金援助以来の仲で、国営施設の経営などを任せて
いたが、近年では統一教会の幹部をスパイ容疑で逮捕してからは監視対象としている
といわれています。

<趣味>
コンピュータはMacユーザー、映画マニアで日本映画では「男はつらいよ」のファンらしい。
会員限定のゴルフコース(パー72、7700ヤード)で1ラウンドののち、11ホールで
ホールインワンを達成するという伝説のプレイヤーでもある

グルメであり、高級食材も好むが、日清食品のラ王も大好きらしい。
2006年に国連で決定された経済制裁により、現在好みの物は入手困難と思われる。
(手に入るでしょ、いくらでも。マンギョンボンがあるじゃないか)
米国は金正日の趣味の対象とされる、iPod、プラズマテレビ、高級車、キックボード(?!)
高級ワイン
などの輸出を禁止している。
(手に入るでしょ、なんぼでも。マンギョンボry)

後継者、金正日2-4

2010-03-24
後継者、金正日1-4
後継者としての地位を確立する過程では、父と金聖愛との間に出来た金平一との
間に激しい権力闘争があったと言われています。

※金平一
金日成に風貌が似ており、学生時代の成績も優秀であった事から後継者と目されて
いたものの、異母兄弟に対する金正日の嫉妬を買い、去勢手術を受けさせられた上で
ヨーロッパ諸国の大使として左遷。現在はポーランド大使を務める。
去勢手術に関しては結婚後、少なくとも2名の実子が確認された後に行われ、去勢目的
子孫を根絶やしにする事ではなく、反抗心を削ぐことにあったとされています

金日成を称えるプロパガンダとして、父のカリスマ化と忠誠合戦を仕掛ける事で、
権力闘争を勝ち抜く事が金正日の方策。
金日成派の独裁化に貢献したことを含め、党内闘争に熟達し、情報統制に長け
ていると推測されます。

権力の世襲に対する批判に対しては「金正日は金日成の息子だから後継者となったの
ではなく、もっとも優れた後継者がたまたま金日成の息子であった。」
というのが
公式見解だそうです。

朝鮮労働党大会は1980年の第6回大会以来、召集されていません。

1991年12月24日、朝鮮人民軍最高司令官に「推戴」される。
1993年4月9日、国防委員会委員長に選出される。
1972年に制定された「1972年憲法」を1992年に改正
「軍の総師権は国家主席にあり」→「軍の総師権は国家主席から国防委員長に
委譲された」と改変し、これにより金正日は軍の総師権を掌握
しました。
(オヤジそっくり)

<国家元首として>
(1) 1994年7月8日、金日成主席死去。この日より最高指導者として統治を開始
(2) 1998年9月「国家の最高職責」とされる国防委員会委員長に改めて選出
(3) 2006年6月、南北首脳会談を行い「南北共同宣言」が発表された。その直後に
    現代グループが北朝鮮への違法な送金を行ったことを黙認しており、会談は
    その見返りだったとされる。
(4) 2000年~2001年、イタリア、イギリス、カナダ等西側諸国との国交を樹立し
    開放政策へと方向を変えはじめた
(5) 2001年9月、アメリカ同時多発テロ事件を境に、2002年には米ブッシュ大統領
    が北朝鮮、イラン、イラクの3カ国をテロ支援国家とし、「悪の枢軸(axis of evil)と
    呼び批判。国際的緊張を生んだ
。米、北朝鮮の緊張関係は和らぐことなく、いわゆる
    「瀬戸際外交」を続けている。

    →つづく

後継者、金正日1-4

2010-03-24
後継者、金正日1-4
こちらのウィキは時代が新しいためか、かなりまともでした。
その他の情報も参考にしましたが、ほとんどウィキまとめです。

<出生>
1942年2月16日、ソ連極東(軍事教練キャンプ、病院など諸説あり)にて
出生。幼名は有羅(ユーラ)。
公式な出生地は金日成伝説にならい、1982年2月15日中央人民委員会より
「白頭山密営地で誕生」という公式発表が行われ、「白頭山密営」は「改革の聖地」
された。
1987年2月には密営の丸太小屋(両班式?)が建てられ、北朝鮮では2010年
現在でも、この密営に”巡礼”することが全国民の義務とされています。

金正日の「生家」とされる建物
ソ連じゃないニダ、ここで生まれたニダ

<幼年期>
1945年11月25日、ソ連から海路にて朝鮮に帰国、平壌へ移動、先に帰国していた
父の元に落ち着きました。1946年に妹誕生、1947年に弟を事故で、1949年には
母を前置胎盤で亡くしています。
幼年期は内向的な性格だったそうです。

朝鮮戦争開始後の1950年9月、家族と共に平壌から慈工道長江郡へ疎開するが、
国連軍の北上により中国を脱出、吉林市内の学校へ通学しました。
1952年11月下旬、父の指示により、北朝鮮へ帰国。

<青年期>
現在ロシア在住の当時の同級生によると、仲間と一緒に学校で様々なイベントを
主催したり、自宅でパーティーを開くなど、次第に社交的になったということです。

1960年9月1日、金日成総合大学経済学部、政治経済学科へ入学、1964年
3月30日卒業。
朝鮮労働党中央委員会に入り、文化芸術部や組織指導部で働き、北朝鮮独自と
される「主体(チュチェ)思想」(金日成は偽者だった?!3-4)の思想、整備を
担当した黄長靴に師事をしていた事もありました。

<権力の掌握>
1974年12月13日、政治委員会委員(現、政治局政治委員)に選出され、1975年
2月14日には金日成の後継者として「推戴」されたが、体外的には発表されず、
金正日は「党中央」としてのみ言及されました。
1980年10月10日、党中央委員会書記長に就任。

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