保守のうさぎ随筆

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在日、中国、台湾、韓国人との思い出

2010-02-17
思い出
この次の記事は「従軍慰安婦」について書いてみようと思う。

「従軍慰安婦」は私が一番最初に知った「大嘘」で、特に
日教組教育を受けたわけではなかったのに、大変なショックだった。

それまでの自分の生活には特に影響もなく、普段は考える事すら
稀だったのに、どうしてそれほどショックだったんだろ。

ただ、単純に、マスコミが、新聞が、テレビが堂々と、どうしてそんな
大嘘をついてきたのか、そしてそれを鵜呑みに
していた自分、日本人にただ愕然としたのかもしれない。

「従軍慰安婦」を調べるまえに、もう思い出になってしまうが
数少ない自分と在日、韓国、シナ、台湾人との交流を書いてみようと思う。

① 日本でであった在日(女)
    通っていた学校のすぐ側に、朝鮮人学校があった(日本で言えば高校)
    朝鮮学校生の鬼畜加減は噂に聞いていたので、その学校の横を通れば
    近道なのに、わざと遠回りをしたもんだ。
    
    制服は黒のチマチョゴリ、男子は憶えていない。

    そのころ私もある学校に通っていたが、クラスに一人在日がいた。
    通名も使わず、まず先生から名前の読み方を聞かれていたっけ。

    とにかく彼女は変わっていたのは憶えている。
    
    かたくなで融通が利かない。
 
    グループで何時間も話し合って、やっと決まった事にほじくり返す
    ような意見で、爆竹を投げこむような真似をする。

    自分の意見を必ず通そうとし、通らなければいつまでも不快感を
    あらわす態度をとる。
  
    自分は同じグループではなかったが、彼女所属のグループはそれで
    かなりもめた。
    私も時々話しはしたが、あまりに会話がかみ合わないので近寄らない
    事にし、クラスも口にこそ出さないが、距離をおいていた。

② 海外逃亡先でであった在日(女)
    彼女もクラスメイトだった。
    日本語が堪能なのに、名前が欧米とも大陸とも取れるような名前で
    不思議に思ったけど、在日だった。
    
    日本では通名を使っているが、ここは日本じゃないから
    自分の本当の名前を名乗るのだ、とのこと。

    彼女はとても明るくかわいらしい人で、世話好き。
    もちろん、ただのクラスメイトとして、表面上の
    付き合いしかなかったから、深くはわからない。

    でも彼女からは良くはしてもらっても、嫌な思いは
    一度もしたことは無かったし、楽しかった。

③ やはり逃亡先でであったシナ人(女)
    彼女もクラスメイト。
    冗談が大好きで、いつも笑って喋っていた。
    なんというか「こまけぇことはいいんだよ!」みたいな
    人で広く浅く付き合う人だった。
    この人からも嫌な思いをしたことはなかった。

④ やはり逃亡先でであった韓国人(男)
    やたらとモテていた(しかも日本人だけに)
    背は低いし、当時でさえ化石のような存在だった
    チェッカーズのフミヤ崩れなコーデネート。

    私は全く話をした事がなかったけど、当時、私と
    一番仲の良かった友人が言い出した。
    
    「気になる人がいるんだよね…」

    もうそのころには勘で何と無くその韓国人がどんな
    感じか分かっていたのでティキーン!ときて
    
    「あの子でしょ」っつたら「うん」だと。
    アンタもかよ~日本女子はどうなってんだよう。

    んで何故かその韓国人(Cとしよう)と友人と私の三人で
    飲みにいくことになった。

    みんなウワバミの如く飲めるヤツばっかで、話も弾んだ。
    しかし現地の夜は早い。11時ころに飲み屋はみんな
    店じまいをしてしまう。
    でもまだ話足りない。
    もう少し開いてる店っつったらストリップバーくらい。

    んで、みんなアホだからそこへ移動。
    アジア人は若く見えるから、なんか女子供が来たーと
    思われたのは間違いない。

    またまたビールを空けつつ話こんだ。
    そのうちに、ふと、Cがいった。
    
    「なあ、秘密まもれるか?」

    こんな時、女はうん!もちろん!と即答する。
    Cは話だした。

    「おれさ、自分でもわかんなくてさー、こっち来てから変でさ」

    うん、うん。

    「こっち来てから3ヶ月、たった3ヶ月だよ。でも7人の子と××した」
    「しかも全員、日本人でさ」

    後ろでは、挑発的なポーズでストリッパーがバーにつかまり
    くるくると回っていた。大音量の音楽。

    間髪を入れず
    「おめーはなんて悪いヤツなんだぁ~~!!」
    「全てはおめーが悪い!!」
    「そいつら7人もどうするつもりなんだ!!」
    「この極悪人!女の気持ちも考えろ!」
    「女なら誰でも何人でもいいのかぁ~~!!」

    罵声をとばしたのは主に私。
    しかし彼は本当に困惑しているようだった。

    しかも次には同棲中の彼女自慢(これも日本人)

    「彼女は最高!パーフェクトだね。和洋中、料理も上手い!」
    「彼女みたいなコはなかなかいないよ」
   
    だってさ。
    だったら7人××(ペケペケ)は何なんだよ。
    考えてもわかんね。

    そのうち店のおっちゃんに
    「ほらー、もうお家に帰るじかんだよー」と閉店を言われた。

    その後は顔を合わせれば挨拶する程度。
    明日、帰国するんだ、ありがとね、元気でねと
    いったら、ノート貸してと言う。

    Cはさらさらと、自国の住所を書いた。
    
    「わかってるけどね、君がここに手紙なんか絶対くれないことは。
       でも一応、書いとくよ、頑張ってね」
    と私たちはさよならした。

    韓国人ってパワフルだな、同棲中の彼女がいながら
    7股をかけるなんて、なんて凄いんだ、でもアホだな
    というのが当時の感想。
    個人的な付き合いはご免だけど、一緒に飲むにはサカナに
    なって面白かった。

⑤ やはり逃亡先でであった台湾人(男)
    彼はとても気持ちの良い人だった。
    絵がものすごく上手で、いつもニコニコしている。
    のん兵衛だけど、誰からも好かれるタイプ。

    言葉は違うけど、空気の読み方やフォローの仕方が
    日本人とよく似ていたように思う。

    そしてチャイニーズ?と言われる度に彼はかならずこう答えていた。
    
    「違う、自分はチャイニーズじゃない。タイワニーズだ」

    いつものにこやかな顔で答えるが、その声には誇りをもった
    真剣さがこもっていて、彼と接して以降、チャイニーズ
    タイワニーズ、ホンコニーズの言葉には気をつけるようにした。


以上がざっと思いついた、彼、彼女たちとの記憶。

当時チャイニーズ系の友達もいて、チャイナタウンに行っても嫌な思いを
する事はなかった。

これはたぶん、通訳がいたし、チャイニーズには日本人とチャイニーズの
区別が付かなかったからかもしれない。

(日本人は、服装と雰囲気から「この人はジャパニーズではない」とほぼ判別がつく)

私にとって、彼らは遠い記憶のなかの一コマで、通り過ぎていった人々だった。

しかし、今、こうして特亜のことや日本のことを考えていると、ふと思いだす時がある。

当時、彼らとは戦争、併合、賠償、その手の話は一切なかった。

本当は、何かしら思う所があったのかなとか考える時もある。    

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