保守のうさぎ随筆

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金日正って偽者だった?!2-4

2010-03-22
金日成って偽者だった?!1-4
<ソ連への退却>
抗日活動は徐々に消耗を重ね、1940年秋、金日成は党上部の許可を得ない
まま、生き残っていた直接の上司を置き去りにし、独断で十数名ほどの
部下とともにソ連領沿海州へと逃げました


当初はスパイ容疑を受け、監禁されましたが周保中が身元保障をし、釈放
を受けたとされています。
1940年12月ハバロフスク会議を経て、ソ連極東戦線傘下、第88特別放団に
中国人舞台と共に編入され、第一大隊長(階級は大尉)となり、ソ連内で
軍事訓練を受けました。

<帰国>
1945年8月、ソ連が38度線以北の朝鮮半島を占領し、金日成は9月19日に
ウラジオストクから元山港へ帰国しました。(このとき33歳)

金日成は帰国直前にモスクワへ呼ばれ、ソ連が朝鮮半島北部地域で樹立
すべきと考えていた共産党政権の指導者として、スターリンより認定。

10月14日、平壌でソ連軍の歓迎集会が開かれるが、1920年代から
抗日英雄とされた伝説の「金日成」としては余りに若い風貌に、偽者では
ないかと疑う国民も多く、そのたどたどしいハングル語に途中での中座も
多かったようです。

<指導者へ>
1945年12月17日、金日成は朝鮮共産党分局(1946年6月に北朝鮮
共産党と改称)の責任者へ就任、1946年11月3日には北朝鮮臨時人民
委員会が北部の政府として成立し、ソ連の後押しで金日成がその委員長に
就任しました。

<朝鮮戦争>
1950年6月25日、北朝鮮は38度線を超え、南へと侵攻、理由は諸説あるが
(北朝鮮国内では当然「南」の侵攻とされた。)ソ連、中国のゴーサインを受けて
の侵攻であり、のちには共産圏と米初めとする連合軍の戦いとなり膠着。

金日成は自分の家族を疎開させたあと、10月1日には直近の部下に
「あと、よろしく!」と自らも逃亡しました。


1953年6月の休戦後、何食わぬツラの皮で平壌へ帰還したとのこと。

これで「同胞を捨てての敵前逃亡」は分かっているだけで二度目です。

こんなのが「抗日パルチザンの英雄、金日成将軍」なわけあるかい。

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