保守のうさぎ随筆

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金日成って偽者だった?!3-4

2010-03-23
金日成って偽者だった?!1-4
<粛清>
金日成は満州派と呼ばれる満州抗日パルチザン出身者たちで、当時は
満州派、ソ連派とは同意であり、ソ連派は金日成を中心とする、親ソ共産主義
政権を作るために送りこまれたソ連国籍の朝鮮人たちにより構成されていました。

満州派はソ連派と共同し、警察と軍を抑える事に専念、その後は国内派の
粛清を次々と開始しました。一連の過程でソ連派も排除され、多くの幹部は
ソ連へ帰国、1967年には満州派が主導権を握る事に。

<独立体制の確立>
金日成はスターリン型の政治手法を用いて、政治的ライバルを次々と葬り、
1950年代の内にソ連型社会主義体制を築き、1960年代までに満州派=
金日成独立体制を完成させました。

1972年、憲法改正以降も粛清は続き、親類をも失脚させ、1977年には
副主席が追放された。
(アレ、先日は幹事長に副幹事長が解任されたと書いたようry)

<朝鮮労働党初代政治委員>
金日成を含め、10名の政治委員、1名の組織委員がいたが、金日成以外の
9名は処刑、変死、獄死、追放、戦死、事故死等で全員死亡しています。

<1972年憲法以降>
1972年5~6月、南北の代表が互いに相手国の首都を訪れ、祖国統一に
関する会談を持ち、7月4日には「南北共同声明」を発表するが、その後は
北朝鮮が一方的に対話を中断してしまいました。

1972年12月28日、新憲法を公布、新設した国家主席に自ら就任、
独裁体制を固める。外交にも力をいれ、1972年4月~1973年3月
までに49カ国と国交を樹立。

1977年、金日成は国家の公式理念をマルクス、レーニン主義から
「主体(チュチェ)思想」へ変更しました。

※ 主体(チュチェ)思想とは

周辺諸国(共産圏)の影響に苦しんでいた金日成が、反ソ連の立場を
打ち出すために北朝鮮の自立性と主体性を主張し、 「ウリ式社会主義」
(我々式社会主義)
を提唱した。

「ウリ式」なだけあり、その主張、思想、主義はその局面ごとに変わります。

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