保守のうさぎ随筆

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後継者、金正日1-4

2010-03-24
後継者、金正日1-4
こちらのウィキは時代が新しいためか、かなりまともでした。
その他の情報も参考にしましたが、ほとんどウィキまとめです。

<出生>
1942年2月16日、ソ連極東(軍事教練キャンプ、病院など諸説あり)にて
出生。幼名は有羅(ユーラ)。
公式な出生地は金日成伝説にならい、1982年2月15日中央人民委員会より
「白頭山密営地で誕生」という公式発表が行われ、「白頭山密営」は「改革の聖地」
された。
1987年2月には密営の丸太小屋(両班式?)が建てられ、北朝鮮では2010年
現在でも、この密営に”巡礼”することが全国民の義務とされています。

金正日の「生家」とされる建物
ソ連じゃないニダ、ここで生まれたニダ

<幼年期>
1945年11月25日、ソ連から海路にて朝鮮に帰国、平壌へ移動、先に帰国していた
父の元に落ち着きました。1946年に妹誕生、1947年に弟を事故で、1949年には
母を前置胎盤で亡くしています。
幼年期は内向的な性格だったそうです。

朝鮮戦争開始後の1950年9月、家族と共に平壌から慈工道長江郡へ疎開するが、
国連軍の北上により中国を脱出、吉林市内の学校へ通学しました。
1952年11月下旬、父の指示により、北朝鮮へ帰国。

<青年期>
現在ロシア在住の当時の同級生によると、仲間と一緒に学校で様々なイベントを
主催したり、自宅でパーティーを開くなど、次第に社交的になったということです。

1960年9月1日、金日成総合大学経済学部、政治経済学科へ入学、1964年
3月30日卒業。
朝鮮労働党中央委員会に入り、文化芸術部や組織指導部で働き、北朝鮮独自と
される「主体(チュチェ)思想」(金日成は偽者だった?!3-4)の思想、整備を
担当した黄長靴に師事をしていた事もありました。

<権力の掌握>
1974年12月13日、政治委員会委員(現、政治局政治委員)に選出され、1975年
2月14日には金日成の後継者として「推戴」されたが、体外的には発表されず、
金正日は「党中央」としてのみ言及されました。
1980年10月10日、党中央委員会書記長に就任。

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